2010年3月29日 被災の地から

2010年3月29日 被災の地から
浅利 美鈴

被災地では、多くの人が不眠不休で目まぐるしく動いており、何から伝えて良いかわからないほどだ。支援に来てまだ数日だが、その間にも、目に見えて復旧が進んでいる。特に仙台市中心部は、多少の不便はあっても、数日内にほぼ以前の生活を取り戻すと思われる。しかし、少し沿岸部に足を延ばすと様相は一転する。今までに見たことのないような景色が広がっている。土台を残して消えてしまった集落、津波が海底から巻きあげてきた泥に覆われた田んぼ、ぐしゃぐしゃにつぶれた自動車、なぎ倒された電柱、ガレキになった家屋・・・これが自然の力というものか。その威力を思い知らされる。「環境や自然に優しい」をキャッチフレーズにしていたのは、人の完全なおごりだ。しかし、立ち上がる力、しなやかな助け合いの力がここにはある。自然との対比の中で、人の力も改めて見た。

津波の壊滅的な被害を受けたエリア(左)/仙台市内中心部(右)
津波の壊滅的な被害を受けたエリア(左)/仙台市内中心部(右)

奇しくも地震当日は、検定の関東での「3R・低炭素社会検定」を開催していた。午後は、尾池和夫先生(国際高等研究所所長・京都大学前総長)を講師にお迎えした。地球のなりたち、季節との関係などの流れの中で、ご専門である地震の話に入った。世界のプレート運動から最近の地震について話が進み、東北(宮城県沖)の地震が直前に迫っている説明に納得し、ニュージーランドの地震について伺っているときだった。ゆらゆらと揺れる。やがて、船に乗っているように揺れが更に大きくなり、電気が消えた。直前にインプットされた話通りの出来事で、東北が震源の地震であることがピンときた。先生とご一緒であることもあり、私たちは落ち着いていたが、避難誘導に従って移動中、先生は津波を気にしておられた。その後、18時過ぎに川崎駅に戻った際に、街角のテレビで見た津波の姿に言葉を失った。深夜、川崎のホテルでメールをチェックすると、世界中の知人・友人から安否を気遣うメールが届いていた。当日の合格者ミーティング参加者や関係者の方々には、それぞれに大変な思いをされたが、無事帰宅されたと伺い、安心した。

地震当日の合格者ミーティングにて避難する参加者など
(左)は、津波を心配する尾池先生

地震当日の合格者ミーティングにて避難する参加者

それにしても、津波被害に目をやると、復旧・復興への道のりは長い。不安定な原発の状態も、東北支援を遅滞させる方向に働いている。一方、落ち着き始めると、様々な批判もおこってくるだろう。しかし、単なる批判合戦には、決して陥ってはいけない。失われた命や時間を無駄にしないために、また来るべき次の震災や困難のために、様々な教訓や失敗から学び、建設的な議論を進めなければならない。1日も早い復興のために、私たちは、1日も早く、自分の仕事を進め、1日でも多く前進のための力を蓄えておかなければならないと強く感じている。
なお、まだお会いできていない方もおられるが、当検定の東北会場の地域パートナーシップの方々も、精力的に復旧・復興に向かって走り回っておられる。落ち着いたところで、当検定実行委員会及び合格者からの支援のあり方に、知恵を絞りたい。

※私たちの現地での活動については・・・
廃棄物資源循環学会「災害廃棄物対策・復興タスクチーム」http://eprc.kyoto-u.ac.jp/saigai/


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