vol.7 ~他のいのちの声に耳を傾ける~ 梶田 真章


「他のいのちの声に耳を傾ける」 本山 獅子谷 法然院 梶田 真章


お盆の送り火で名高い大文字山の西側に連なる善気山を境内とし、私が1984年からお預かりしている法然院では、市街地に近い場所にありながら、椎、杉、檜、椋、榎、椿、楠、楓、竹、フクロウ、ムササビ、猪、リス、狐、狸、テン、モリアオガエル、数十種類の鳥など、多様ないのちの営みが繰り広げられています。建物や庭園の美、清浄な気は森を構成する様々ないのちによって支えられているのです。「寺は開かれた共同体でなければならない」という先代住職の遺志を継いで、1985年から「法然院森の教室」を開き、1989年には「森の子クラブ」を発足、「森の子クラブ」では主に小学生を対象とした生き物観察会や合宿を行っています。1993年には「共生き堂(法然院森のセンター)」を新築して、「森の教室」や「森の子クラブ」を運営する環境学習市民グループの活動拠点とし、また、アーティストの個展、音楽会、シンポジウム等の会場として寺をご利用いただくことも増え、現在では法事以外に年間100以上の催しが開かれています。

子どもたちが動物園や水族館ではなく、森や川で生き物と接すれば、いのちの捉え方や想像力が養われます。子どもたちに夢を持たせることは大切ですが、同じくらい子どもの頃に思い通りにならない体験をすることも重要です。時々子どもたちが「ムササビ観察会」に参加しますが、テレビや動物園とは違って暗くなる前から待ち構えていても出会えない日もある訳です。ままならないのも人生だという体験も子どもの頃から是非必要だと思います。お膳立てをし過ぎることが必ずしも子どもの成長を促すとは限りません。子どもに葛藤を与えること、苦い体験も時にはさせることが子どもたちに他者を思いやる気持ち、善い縁も悪い縁も社会で生きてゆく時にはあるという人としての成熟をもたらします。

私が嫌いな言葉は「自然と人間の共生」です。人間はチンパンジーやゴリラなどを含めた人類の一種に過ぎないのに人間の周囲にある人間とは別個の存在のように自然を捉える西洋流の明治時代以降の悪癖は今すぐ改め、自然とは目に見える対象ではなく生き物同士の支え合いのしくみを表す言葉だという意識を持ちたいと思います。環境学習では、目に見えるものだけではなく生き物が全て複雑に絡み合って存在している関係性を全体として学ぶことが重要です。市街地に生活していてもアスファルトの下には大地があり、京都盆地の地下には水が満々と蓄えられていることを想像することが大切です。私が他のいのちと別個に存在して共生しているのではなく、私が生きていること自体が他のいのちに支えられているという共生の姿であり、共生とは共に支え合うことでもあり、共に傷つけ合い、殺し合うことでもあります。他の存在と境界を持つ私のいのちなどというものはどこにも存在せず、毎日食事を通していただく殺された全てのいのちは私の中で重なり合っています。「きみは今、椿なの。僕は今、僧侶だよ。」という心持ちを大切にして、生きとし生けるものにはゆったりと平等な時間が流れていることを再確認してゆきたく思います。

私が様々ないのちの「おかげさま」で生きていること自体が「もったいなく」「有難い」ことです。「ありがとう」は、「めったに無いことをして下さって有難いことです」と、相手との尊き御縁を感謝して心を込めて発せられてきた筈です。昔は「ままならない」のが人生であり、自分の思い通りの結果になったのは、善き因縁が整った有難いことであると受け止められていましたが、便利な暮らしを享受するようになった現代では、人生は意のままになるもので、他人にはしてもらって当たり前という感覚が強く、「ありがとう」が軽い気持ちで口にされます。高度経済成長以降、仲間ではなく他人に囲まれて暮らす社会を築き、責任は自分が「果たす」ものではなく、他人に「問う」ものであるという現代ですが、愚かな人間が作っている社会だから、時にはミスもする人間同士、互いに期待し過ぎず、各々の違いを受け容れる仲間意識を改めて培うために、相手を気遣う挨拶を心から交わせる社会を再構築してゆきたいと思います。

人間は自己中心的で、善悪ではなく基本的に損得勘定を大事にする生き物ですから、環境問題の解決には人間の道徳心に期待するばかりではなく、環境税などを導入して損得を気にする心を刺激することが必要です。欲しい物を買って、一人で好きなことをして自由気ままに時間を過ごすことが素晴らしい人生だと消費生活を謳歌している方が多い現代日本ですが、言葉にならない他の動物や植物のささやき・叫び、あるいは他人の声に耳を傾けることを自己の考えを主張する以上に大切にして、他のいのちとの関係を地道に築くことに日常的な喜びを見出し、ささやかに自分が出来ることをさせていただきながら、丁寧に暮らしてゆければと願っています。◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎合掌




梶田 真章

梶田 真章(かじた しんしょう)

略歴
1956(昭和31)年、浄土宗大本山 黒谷 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)の塔頭(たっちゅう)、常光院に生まれる。
1980(昭和55)年、大阪外国語大学ドイツ語科卒業。
1984(昭和59)年、法然院第31代貫主(かんす)に就任、現在に至る。1985(昭和60)年、境内の環境を生かして「法然院森の教室」を始める。1993(平成5)年、境内に「共生き堂(ともいきどう)〔法然院森のセンター〕」を新築、この建物を拠点に環境学習を行う市民グループ「フィールドソサイエティー」の顧問に就任。
現在、京都市景観・まちづくりセンター評議員。きょうとNPOセンター副理事長。アーティストの発表の場やシンポジウムの会場として寺を開放するなど、現代における寺の可能性を追求しつつ、環境問題に強い関心を持ち、寺を預かる僧侶として、そして一市民として、個性を発揮できる活動を通じて社会的役割を果たそうと努めている。また、時間の許すかぎり、参拝者に向けて法話を行なっている。著書「法然院」淡交社刊(共著)、「ありのまま~ていねいに暮らす、楽に生きる~」リトルモア刊。

ページの先頭へかえる