「名もなき新しい時代への道しるべ」 大橋 正明 ◎例えば、食にまつわる問題の根源は誰とどこで何を美味しく楽しく食べるかということです。まちづくりにまつわる問題は誰と、どんな場所で、何をしながら暮らしたいかということです。環境問題にまつわる問題はふる里の恩恵を受けて、どんな仕事を通して環境を守り、どんな産業と文化を育てるかということです。 ◎こんな単純な問題も社会や経済の深化、成熟と共にその姿も変貌を遂げていきます。私たちをとりまく欲望の解放という巧みな戦術とそれに見合う都市環境の整備によって大切なものが見えにくくなり、それを取り戻す方法さえ見失っているというのが現在の状況です。幸福の実感などと言う言葉が言いはやされること自体がすでに病んでいるのでしょう。 ◎共感という言葉を私たちはよく使うようになりました。それでは共感とはなんでしょうか?どうして共感できることとそうでないものがあるのでしょう?共感は「私」自身が過去に経験したものを基礎として生まれます。それが遠い記憶の果てであっても、経験に裏打ちされたものに人は共感を覚えます。それが4000年の時を経たものであっても。 ◎同じふる里に育ったものたちが持ちうるある種の言語を超えた実感。そして価値観。それがこれからの環境活動には大切なのだと思います。 みんなが「それでいいのだ!」と思える共感。それを見つけ出す時代が来ています。 ◎ところがそれが見えにくくなっています。そして「追われるような社会」が進むにつけて私たちは生きにくさを感じ、そこから生まれるたくさんの種類のストレスがより非人間的な環境を産み出しています。生きにくさの正体とは管理社会と人間の消費者化の過程で生まれる他者への懐疑心の所作であります。 以下の3つの要素が同時に壊れている訳です。 1.生きている! 2.生きていく! 3.生きながらえていく!の3要素の有機的連鎖の断絶によってです。 生きているとはあらゆる自然環境とあらゆる私たちの仕事との間に生まれる総合芸術のことです。(宮沢賢治の言葉です。) 生きていくとはそれを文化にまで高め、生活を楽しむ方法を創造することです。 今の人々はそれをヴィジョンと呼んでいるのですが誰も答えを産み出すに至っていません。今の人々は簡単にヴィジョンとかミッションとか言いますが、何故か私には怪しい響きとして伝わって来ます。 この薄すぼんやりとした、それでいて真っ暗では無い。真綿で首を締められるようで誰も締める勇気のあるものなどいない。ヴィジョンといいながら実態の伴わない。 「見える化」などと、一体何十年前のはやり言葉をいまさらながらに使うのかと思わせる。徹底的想像力に欠けた群衆からはイノベーションなど生まれません。 だからこそこんな「うすら笑い社会」から脱却して新しい価値観に基礎を置く経済社会を作りだすことが求められます。 エコロジーとはその原義をオイコノミアということなど誰もが知っています。 すなわちエコノミーであり経済のことです。 経済とは経世済民(けいせいさいみん)のことであり世を治め、民を救うことです。 経済とは社会を癒す原動力であるはずなのですが、今の経済人は違う人がほとんどです。 ◎どうしてそうなったのか!それをひも解くには今日の資本制消費社会をよく見つめ直すことです。消費社会の中で人間が以下に変容したかということです。 それを「もったいないが大切。」の一言で片づけてはいけないのです。 そしてなにより現代社会の中で、本来持っていたある種の才能を私たち、特に日本人はいち早く取り戻すことが必要であると考えています。それは「イメージのクオリア」という目利き的発想です。そんな子どもたちを育てる戦略に今、腐心しています。 一秒たりとも留まることを知らない、絶えず変化しながら新しい「カタチ」を産み出す。生命界の原理を私たちの暮らしに投影できるデザイナーの創出を! | ◎ |
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