「地域の力で環境と暮らしを守る」 NPO法人木野環境 宇髙史昭
◎私は、約40年間公害対策と持続可能な社会づくりに携わってきました。この仕事に入ったきっかけは、学生時代に知った日本で顕在化していた公害問題でした。学校では化学を専攻し、民間会社勤務後、1978年4月から京都市役所に奉職することとなり、公害対策室を皮切りに2013年3月退職までずっと環境分野を歩んできました。 さて、ずいぶん前から地域主権、地域力向上と叫ばれています。しかし、本当に地方の力が発揮された取り組みが進んでいるのでしょうか。地方にいる者から見ると、地域住民の発案と地域の人口規模や産業構造に適った優れた取組が多々ありますが、中央の人が求めるモデルや標準的なものさしに合わさないと支援が受けられないケースがあります。 ◎先進的、モデル的なものだけがクローズアップされ、地方が努力して取り組んだ結果、地方のひと(人材)・もの(資源)・かね(財源)が最後に中央に持って行かれているのではないかと案じています。今回は地方自治体の職員から見た地域の力による環境と暮らしを守ることについて経験したことをコメントさせていただきます。 私にとって、仕事の大きな転換点は、1997年11月~12月に京都で開催された国連気候変動枠組条約第3回締約国会議(UNFCCC-COP3・地球温暖化防止京都会議、以下「COP3」という。)での「京都議定書」の採択です。 これにより職務は、国の法律に基づく地域を流れる河川や地下水の水質汚濁防止、大気汚染や騒音等の公害対策、公害苦情処理や地球環境問題の普及啓発(環境教育)から、地域に根ざした持続可能な社会づくりへと大きく視点が変わりました。 また問題の関係者も、公害問題は、企業=加害者と住民=被害者の二者でしたが、事象が住民も加害者の一人になり得る都市生活型公害へと変化し、さらに地球規模の環境問題に至っては、先進国に暮らす私達と企業が共同加害者、開発途上国の住民が被害者という形に変わりました。そして原因を創り出している責任は私達一人一人にあることが明らかになってきました。 そこで、COP3に合わせて、地球温暖化による影響やその対策は市民生活と大きく関わることから、京都市では市民参加による計画(ローカルアジェンダ21)をつくることになり、私が担当することになりました。この仕事は、作るもの、作り方すべて前例のないものばかりでしたから、新しく道を切り拓くしかなく、環境に関心を持つ市民の意見を聞きながら業務を進めることができました。 ◎京都議定書が採択された後、京都市では炭酸ガス排出量を大幅に低減するため、市民の努力に頼る取組(例えば、エアコンは○○度に設定して、省エネに努めましょう)だけではなく、エネルギーを大量消費する事業者や機器設備の省エネ対策が必要であることから、大規模な事業者に省エネ計画の作成、大きな建築物を建てる者に予め省エネを講じるよう設計し施行する、電気店に消費者向け省エネ家電製品(エアコン等)の省エネ性能の表示(省エネラベル制度)などを義務づけた政令市では全国初の地球温暖化対策条例制定や条例にもとづく取組を進めるための計画の策定(地球温暖化対策地域推進計画の全部改定)に携わりました。 一方、市民参加によるローカルアジェンダ21も計画づくりだけで終えることなく、掲げられた目標を達成するため、市民、事業者、行政が協働する場づくりを行う組織「京(みやこ)のアジェンダ21フォーラム」を起ち上げ、私はその運営や1つのプロジェクト事業であった、京都の中小企業に環境経営を促進するための地域独自の環境マネジメントシステム(KES環境マネジメントシステム)制度の構築に向けて、地方の企業が取り組みやすい制度への理解を得るために、関係省庁や国際規格であるISO14001の認証機関等との調整作業を手伝いました。 その後、退職までの7年間(2006年3月~2013年3月)は、私にとっては地域から地球規模の環境保全まで幅広い視点で地方自治体の取組のレビューをする期間となりました。 ◎環境問題に熱心に取り組む地方自治体の国際組織であるイクレイ-持続可能性を目指す自治体協議会の日本事務所に出向して、環境保全活動を政府だけに任せるのではなく、国連の会議や国際機関の会議に参加し、京都市など日本の自治体の地球温暖化対策の取組を発表して、自治体の取組への支援・協力を国際社会に求める活動を行ったほか、インドネシアなど開発途上国の地方自治体との国際協力事業の橋渡しをしました。 京都市へ戻り、「歩くまち・京都」の実現を目指す自動車環境対策計画の改定や生物多様性保全と市民が環境影響評価の審査に関与する仕組み(計画段階環境配慮制度)を盛り込んだ環境影響評価等に関する条例の改正にも携わりましたが、地域の力で環境と暮らしを守るとは、人・モノ・文化という地域資源を地域の人々が気づき・守る(育てる)ことに尽きると思いました。 ◎京都は、都市の環境と人々の暮らしを維持する智恵と技、つまり歴史、文化、町衆が千二百年超もの時間の中に育まれてきました。私の40年間はそれに比べたらほんの僅かの時間ですが、これまでに得た知識と経験が、京都の将来を担う子ども達や若者達の活動の少しででもお手伝いになればと思い、退職後も地域の力による環境と暮らしを守る活動をしているNPO活動に参加しています。 | ◎ |
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