Vol.47 「都会の廃校におもちゃ美術館」


都会の廃校におもちゃ美術館」

多田 千尋



廃校になる小学校は建築遺産

「平成一九年の三月、神宮外苑の杜近く、100年の伝統を持つ四谷第四小学校がその役割を終えます。戦災を免れた貴重な建築遺産でもある校舎が来春に向け『東京おもちゃ美術館』に生まれ変わろうとしています」

これは、私が理事長を務めるNPO法人日本グッド・トイ委員会が、新しいおもちゃのミュージアムを開設する為の設立基金を集めるためのパンフレットの前文である。

同委員会はおもちゃの選考とおもちゃコンサルタントの養成を通して、難病の子どもの遊び支援や、「おもちゃの広場」の全国展開による子育て支援、さらに高齢者福祉施設を訪問しての要介護者に向けた遊びケアなどの社会的活動を進めている団体である。

この学校は、昭和八年に木造校舎が火災にあい、その翌々年に当時の東京市が威信をかけて造り上げたモデル校だ。当時の校舎の建築物としては珍しい鉄筋コンクリートの建物で、東京市は設計をドイツ人建築家に依頼した。

3.5メートルを越える天井に、各フロアーの踊り場が教室一つ分はあるのではと思わせるゆとりスペース。保健室では歯科の診察設備まで整い、職員室にはレトロな家具調度品が備え付きで、耐火金庫も壁にはめ込まれている。

さらに住民たちの寄付により、当時の価格で1万円のピアノもあり、校舎の総工費が23万円であることと比較すると、いかに高価な贈り物であったことかがうかがい知れる。

戦前の最盛期には1000人を超える生徒数を誇っていた。付属の公立幼稚園も東京の幼稚園史に残るほどの伝統園で、明治・大正期には人力車で通う園児も少なくなかった。しかしながら、昭和から平成に入り、100名を下回る年も続き、行政側からの統廃合問題も幾度となく浮上することが多くなってくる。

桂小三治師匠など、数多くの同窓生を持ち、わが子のように校舎を想う地元住民にとっては、小学校が閉校になることは我慢できても、この歴史的建造物である校舎だけは守り抜きたいといった思いは強かった。そのような熱い思いから、おもちゃ美術館の誘致となった。

おもちゃ美術館とは何か
そもそも、おもちゃ美術館とはどのようなものだろう。今は亡き、私の父が昭和58年に東京の中野に民間の芸術教育研究所の付属施設として創設したもので、今年で四半世紀を迎える。子ども連れの家族や幼稚園・保育園の団体、中学校・高校の修学旅行生、おもちゃ研究の学生などが利用する施設で、今まで累計で一五万以上の人々が訪れた。

昭和30年代から収集し始めた世界100ヶ国15万点の玩具資料を展示やプレイコーナーにふんだんに活用してきたが、ガラスケースに貴重な玩具を陳列する博物館然としたミュージアムは目指さず、入館者とおもちゃの仲人役をスタッフが務める施設にしたかった。そして、平成18年に、NPO法人日本グッド・トイ委員会に「おもちゃ美術館」の運営・管理の業務譲渡をし、新宿四谷への移転後は同法人にとっては大きな社会的事業の柱となる。

昭和50年代から60年代の当時、子どもたちは、「おもちゃは買うもの」といった風潮が強く、自らの手で作り出すといった経験が大きく不足していた。そこで、子どもたちに物づくりの楽しさを体感させる絶好の題材としておもちゃに注目し、入館者全てが手作りおもちゃの指導を受けられる環境と人材を整えた。

平成時代になると、高度成長時代を支えたエンジニアや機械整備士が続々と定年退職し始める。シニア層の知恵と技を子どもたちに還元できないかといった思いから、「おもちゃ病院」の開院を進めた。こうした動きはシニアの生きがい活動とも重なって、会員数500人を越えるおもちゃ病院協会の組織化となっていく。

また、近年、子育て支援の必要性が盛んに叫ばれるようになると、おもちゃライブラリーに脚光が集まる。図書館で絵本を借りるように、おもちゃを無料で自宅に持ち帰られるサービスに親たちは飛びついた。半年も通っていると、どのような親でもおもちゃの選択眼が養われていった。

このように、おもちゃ美術館は、時代とともに、子どもたちに目線を合わせて新陳代謝を繰り返してきたのである。

戦前の校舎に「おもちゃ美術館」をつくる
都会のど真ん中、四谷に新しく創設する「東京おもちゃ美術館」は、教室12室分の面積を持ち、現在よりも10倍の広さとなった。

館内には、過去20年間、250前後の「グッド・トイ」選定玩具の常設室がお目見えした。旧音楽室に木工玩具をふんだんに集め、「おもちゃの森林浴」を味わえる楽しさと癒しの空間も実現した。旧家庭科室は手作りおもちゃ工房をおき、江戸時代のからくりおもちゃから牛乳パックや割り箸などを活用したリサイクル手作りおもちゃなどを豊富に作れ、好評を博している。

最上階の一般教室2部屋を使ったおもちゃの町は大小さまざまな小屋が建ち、一種独特な屋台村のような雰囲気がする空間だ。世界の独楽や、クーゲルバーン、万華鏡、積木など様々なおもちゃで遊ぶことも出来る。

館内には「おもちゃ病院協会」の本部も置かれていることから、全国に誇れるくらいのモデル病院も設置する予定だ。さらに世界のおもちゃの企画展も実施でき、ファミリゲームやボードゲームも自由に堪能できる機能も整えた。そして、1階には国内外のおもちゃや、おもちゃ作家の作品、それにおもちゃコンサルタントの力作などをそろえたミュージアムショップも日本を代表するものとなった。

但し、これらの環境を管理運営していくためには、1日10人のボランティアが必要となる。そこで平成一九年の秋から「おもちゃ学芸員」というボランティア養成事業を立ち上げ、年間3000人分のマンパワーの確保を目指す。そして、次世代を担うために、新たに二つの視点を付け加えようと思っている。

第一に、多世代による参画型ミュージアムの創設だ。中高生の仕事体験、大学生とのインターンシップやシニアボランティアの育成を通じて、入館する美術館から参加する美術館を目指したい。第二に、子育て中の親や祖父母を対象とした三世代子育て支援ミュージアムを進めていきたい。シニアに、子どもと楽しむ知識や演出力などを、身につけてもらおうと考えている。遊び主導の子育ては、親の心をも穏やかに健やかに育てるはずだと思っているからだ。

こうしたメッセージをもとに、私たちは「東京おもちゃ美術館」を多世代交流の館と名付けようと思っている。子どもも楽しめ、お年寄りも自己実現が果たせる仕組みを、このミュージアムでチャレンジしていきたいと考え、ただいま社会的実験の奮闘中である。






多田 千尋



【プロフィール】

多田 千尋(ただ ちひろ)
東京都生まれ。明治大学法学部卒業後、モスクワ大学系属プーシキン大学に留学。
あわせて科学アカデミー就学前教育研究所、国立玩具博物館の研究生として幼児教育・児童文化などを学ぶ。

乳幼児から高齢者までの遊び・芸術による世代間交流の実践・研究、シニアを巻きこんだ新時代の子育て支援などに取り組む。おもちゃ文化による人々のQOLの向上を唱え、「グッド・トイ」の認定機関として、1985年に日本グッド・トイ委員会を設立。遊びの専門家「おもちゃコンサルタント」養成講座を 25 年継続し、現在全国に5000人を超える有資格者が誕生し活躍している。新宿の建築遺産の廃校の存続を願う住民との協働により、2008年に東京おもちゃ美術館を創設。23 年度より地産地消の玩具を推進する「ウッドスタート」を提唱し、発展に努め全国市町村でも注目を集めている。

平成 20 年に「木育」推進を評価され、東京おもちゃ美術館のユニークな国産材の木の利用によって、林野庁長官から感謝状を受け、さらに年間 10 万人の入館者を集める経営手法を評価され、経済専門誌から日本の社会起業家 30 人の一人に選ばれる。

現在、芸術教育研究所所長 東京おもちゃ美術館館長 高齢者アクティビティ開発センター代表
芸術教育の会事務局長 認定NPO法人日本グッド・トイ委員会理事長 日本福祉文化学会前副会長
お茶の水女子大学講師(現代の幼児教育・保育の探求)、早稲田大学(福祉文化論)、明治大学(NPOの経営学)、
他大学講師

著書:『木育おもちゃで安心子育て』『グッド・トイで遊ぼう』(黎明書房)
『おもちゃのフィールドノート』(中央法規出版)『世界の玩具事典』( 岩崎美術社)
『遊びが育てる世代間交流』(黎明書房) 『ボケないレッスン』(晶文社出版)
『おじいちゃんは遊びの名 人』 『おばあちゃんは遊びの達人』(ひかりのくに)
『赤ちゃんと楽しむ手作りおもちゃ』( 池田書店) 他、著書・共著・監修 多数


ページの先頭へかえる