Vol.39 環境問題よりも生活の向上と製造業の復活を 疋田 正博



「環境問題よりも生活の向上と製造業の復活を」疋田 正博


私がこれから書くことは、低炭素社会化に強い意欲を持っておられる方々には、お気に召さないと思う。非難ごうごう、サンドバッグのようにボカボカにどつかれるかもしれない。あるいは掲載前に編集部でボツにされるかもしれない、と思いつつ、今私が感じていることを書かせていただく。

ひとつは、低炭素社会化、循環型社会の構築の努力は何のためかという問題。近頃、地球温暖化の原因は、疑いもなく人間の産業活動であると、IPCCは断定したが、本当にそうなのかという疑念は消えない。確かに地球表面にわずかに張り付いている海水は温度上昇・体積膨張しているらしいが、それは太陽活動や地球自体の内部の営みが原因で海水温度が上昇したから、海水に含まれている二酸化炭素が排出されたからなのではないのか。それと、世界のエネルギー消費を起源とする二酸化炭素排出量が 4 %にも満たない日本が、排出削減努力をしても、中国・米国・インド(この 3 国だけで50%に近い)が削減義務を負わないかぎり、その努力は全地球的にみて効果があるのだろうかという疑問。まして排出権取引というのは、訳がわからない。森林を保全するつもりでいるブータンのような国から排出権を買って、こちらで二酸化炭素を排出するのは、途上国支援にはなるが、二酸化炭素排出量を減らすわけではない。

低炭素社会化、循環型社会の構築を叫び始めた15年ほど前に、私は環境庁にいる研究者にこれらの疑問をぶつけたところ、正直言うと自分も本当のことは分からない、ただ、もしも人間の産業活動が原因であったと将来わかったときに、削減努力しなかったことを後悔しないための、政策(non-regret policy)を国際的にやっている、日本もそれに従わなければ、我儘勝手な国だと非難される、だから外交上必要なのだと言われ、私はその論理に非常に納得した。温暖化問題にはいろいろ疑いを持ちつつも、そのときの納得をベースに、個人的にそれなりの排出削減努力はしている。クルマを持たず、自転車に乗り、節電に努めており、夏もあまり冷房を使わない。ゴア氏なんかよりずっとエコな生活をしている。工場などでの排出削減努力は勿論必要であるが、生活者レベルではその程度に考えておいて良いのではないか。

もっと重要な問題だと私が思うのは、生活者の質の高い生活を希求する意欲の低さ、そして日本経済のありかたである。日本は資源の乏しい国だから、諸外国から資源を輸入して、加工製品を輸出するということで経済をやってきたが、生産拠点は人件費の安い開発途上国に移転してしまい、国内の製造業が空洞化してきている。1950年代末にテレビ、洗濯機、冷蔵庫を「三種の神器」と呼び、所有することを憧れ、やがてみんなが所有するようになって、それらが必需品になり、わずか10年で「三種の神器」の意味まで変わってしまった。あらゆるモノが安く買えるようになり、狭い家の中はモノで溢れ、飽和した、もう人々のほしいものは何も無くなった、おまけに人口は少子高齢化で、国内市場は縮小するばかり、日本経済は製造業中心で富を生み、それを分配するという経済ではもう成り立たなくなった、とみんな言うのだけれど、それは本当か。

終身雇用を前提としていた日本型経済体制が、構造改革政策で破壊され、若者が安定した職業に就くことができず、その結果若者が働いて得られるよりも多くの金を、働いていない老人が年金として受け取り、国はその借金を若者にツケ回している老人優先経済のもとで、所帯を持って自分たちなりのライフスタイルの構築を一番願う時期の年齢層にそれに必要な経済的余裕がなく、将来の希望も持てず、生活向上意欲を持てないために、安いものばかりが売れ、消費が低迷しているからではないのか。少子化の原因もそこにあるのではないのか。

これからは、製造業よりも、ITソフトや、音楽・映像・ゲームなどのコンテンツ産業を育てるべしという意見もあり、そのあたりの企業だけが伸びているように見えるが、ベーシックな身の回りの生活財を、より質の高いものにしていくには金がかかるため、安くて手に入るバーチャルなモノの購入の方に意欲が向かっているだけではないのか。その挙句が例の「コンプ・ガチャ」だ。

製造業の縮小・コンテンツ産業の拡大は、エネルギーや資源をあまり使わなくなり、低炭素社会化、循環型社会のためには、好ましいのだろう。だけどコンテンツ産業は労働力をあまり必要としないから、経営者や一部の開発者だけに富が分けられ、富の配分がうまくいかない。私が今一番大事だと思うのは、老人優先経済を改め、若い人たちが生活の質の向上意欲を持つことと、日本の製造業の復興である。人々のほしいものはもう無くなったと思わずに、より便利なモノ、よりデザインの良いモノ、より質の高いモノを生み出す努力を怠らないこと、人々に、より質の高い生活財を持つことの素晴らしさを伝え、購買意欲を持たせることである。しかし、低炭素社会化、循環型社会の構築が一番大事だと思っている人たちには、私のこの意見は、やはりお気に召さないだろうなぁ。






疋田 正博





【プロフィール】


㈱CDI代表取締役 疋田 正博(ひきた まさひろ)

1944年 西宮市生まれ。
1969年 京都大学大学院修士課程(教育史)修了。
1973年 シンクタンク(株)CDIに入社(主任研究員)。
1985年 同専務取締役研究部長。
1989年 同代表取締役に。入社以来、生活文化研究、文化政策・文化施設に関連する調査・計画立案に従事。「生活財生態学」研究シリーズで、日本生活学会より1979年第5回今和次郎賞を受賞。編著『食を育む水』ドメス出版、2007.「三種の神器」(『転換点を求めて(京大人文研共同研究報告)』2009所収)等。

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