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ちょっとだけ昔の話。京都西陣の町家には炭小屋なるものがあった。鰻の寝床といわれる御存じの町家には通り庭が奥まで続いており、はしり(ダイドコ)を抜けた奥にこの炭小屋はあった。炭の貯蔵庫である。何故貯蔵庫かというと、西陣のおばちゃん達はこの炭を夏に購入するのが「常」となっていた。当然夏には炭の需要が無いから炭屋にとってはありがたい。そこを狙う西陣のおばちゃんたちはしたたか。普段より安い値段でかけあい、商談は成立する。炭屋も夏と冬の需要を見込めるのだからお互いwin-winとなる。炭屋は勝手に町家の奥まで入り、炭小屋に炭を置いていく。通り庭とは「内」でありながら「外」であるのだ。だから気兼ねなく人の往来がある。
炭屋と同時に「灰屋」という職業があった。使え終えた灰を回収してくれる。灰屋はどのように商いをするか?集めた灰の売り先は農家での土壌改良や肥料、造り酒屋では酸っぱい酒が出来ないように酢で調整する。染色の世界でも重宝された。しかし、だからといってリサイクルシステムが成立していたというのは早とちりであろう。そこには火鉢で暖を取る町家の暮らし。すなわちお餅を焼いたり、おかきを焼いたり、時には七輪でさんまを焼くおいしい習慣があったからこそ。そして火鉢は炭を起こすのに灰が陶器と炭の間の調整役として温度を保つ役割もしていた。
火鉢はおばあちゃんの居所、ここにおばあちゃんがいることで家の中がまあるくおさまることもあった。いたずらをした子どもがお父さんに怒られ、居場所を失ったかけこみ寺が火鉢の横にでんと居座るおばあちゃんのお膝であったのだ。「まあまあ、そんなに怒らんと!とお父さんすなわち自分の息子に言って聞かせる。」たのもしいおばあちゃんが子どもを助けた。そしておばあちゃんはまた灰を火箸でかき混ぜながら時間を過ごす。炭、火、灰のある暮らしが一家をまあるくおさめた。
さて、町家では多くの他人が往来した。大工は勝手に家の傷み具合を見に来る。米屋は特別の米箱(お見せできないのが残念だが。)に頃を見計らって勝手に米を入れていく。そこには売り手と買い手の信頼関係が存在していた。現代の企業にとってはたくさんのヒントがあるだろうから一度考えてみられるとよい。
人、もの、まちが循環していたほんのちょっと前のお話である。
【プロフィール】
大橋 正明
みんなのヴィジョン想像研究所 代表
3R・低炭素社会検定実行委員及びニュースレター編集長
広告代理店時代から企業及び行政向け総合コンサルティング、国、行政、企業のまちづくりや住環境のコンセプト開発、コミュニティデザイン、大型施設の開発プロデュースなどを徹底して生活者視点で展開する。
現在は本来あるべきマーケティングを主軸に新しい文明社会への転換と持続可能な人間社会の価値体系の再編、それに伴う成長プログラムを研究。
企業と生活者の関係の抜本的な見直し、生活者がストレスを蓄積しない環境まちづくり、市場経済のみに頼らない「まちづくり経済」といった新しい概念で多様な生き方、暮らし方、働き方ができる社会の提案に取り組む。
3R・気候変動検定