~水銀のはなし~ ◎ 貴田 晶子(愛媛大学農学部 客員教授)◎ ◎ ◎少し難しい話になるが、資源の循環と有害物質のことについて触れてみたい。その一つとして水銀を取り上げたい。2013年に水銀に関する国際条約が制定される予定になっており、日本政府も積極的に参加している。水銀を例に、有害物質とどう付き合うべきか、を考えてみたい。専門的な話題と思われるかもしれないが、身近なところでは、蛍光管、電子機器類のバックライト、電池などにも利用されており、今ではこれらが主な水銀使用製品であり、私たちが出しているごみの中では30%しか水銀回収が行われていない。残りは埋立処分されているものが多い、と聞くと市民運動としてやるべきことの一つと考えられるのではないだろうか。 ◎有害物質といわれるものには、これまでに有用物質として使われてきたことを忘れてはならない。水銀だけでなく、PCBも石綿も同様である。天然資源から取り出した人工物は、過去の栄光の後、今や負の遺産としてきちんと処理せねばならない時代になっている。科学技術の裏と表を象徴する物質といえるだろう。 ◎水銀が使われた歴史は古く、赤色顔料(硫化水銀、辰砂、朱)は中国の辰州産から名付けられたものであるが、中国では、紀元前17世紀~12世紀の殷の時代に辰砂が防腐用あるいは富の象徴として使われ、また秦の始皇帝(紀元前3世紀頃)が驪山陵の改修時に、宇宙を再現するレリーフを作り、海を表すのに水銀を用いたとの記録がある。赤色鉱物の辰砂ではなく、液体の原子状水銀が使われていた。相当量使われ、相当量揮発したであろうと推測される。日本でも3世紀の古墳時代に辰砂が石室の壁などに赤色顔料として使われていた。液状の水銀が採掘されるようになると、金を溶かすものとしての利用が多くなり、奈良の大仏には鋳造時に500トン、改修時に200トンと莫大な量が使われたとされる。水銀蒸気による中毒もあったであろう。 ◎一気に時代は越えて、工業化時代の1900年代になると、様々な化学工業に使われてきた。化学工業の大元の化学物質の苛性ソーダを海水から分離するのに電極として、酢酸ビニルや塩ビなどの原料となるアセトアルデヒド製造過程で触媒として(これが水俣病の原因となった)など。1950年代~1970年代には、工業用だけでなく、農薬(米のイモチ病用、燻蒸剤等)、火薬、船底塗料等にも多く使われた。水銀化合物の一つである雷汞(らいこう)は原爆の雷管にも使われた。私たちの身近にも、体温計、蛍光管、電池など、また歯科用アマルガムとして利用されている。50代以上の人にはなじみ深いマーキュロクロム(赤チン、製造は禁止されたが、流通はしている)も水銀製品である。戦後から1970年代までに、日本では年間1000トンを超える消費量であったが、水俣病発覚以降、公害規制により、1970年半ばには水銀の年間消費量100~300トンと減った。1980年代に電池への使用量が増えたが、1990年半ばには数10トンとなっている。 ◎水銀の毒性は、有機水銀(特にメチル水銀)が高く、神経系への強い影響がある。しかし、無機水銀でも毒性がないわけではない。2000年以降に国際的に議論されている「水銀問題」とは、(1)過去に使用してきた水銀が、地球上を広くめぐり、使用したこともない地域(極地)まで汚染が進んでいること、それに伴って極地付近の住民や動物への影響が懸念されること、(2)発展途上国において工業化段階で水銀利用が増加していること、(3)回収された水銀が金採掘のために多く使われ、水俣病様の症状がみられていること、などの理由により、グローバルな対応策をとらねばならない、と捉えている問題である。 ◎PCBやダイオキシン類など、有機化合物の有害物質は、熱によって消滅しうる(もちろん適正な処理・管理技術が必要であるが)。しかし、水銀(重金属類も)は煮ても焼いても消滅しない。このような有害物質はどうするか? まずは、使われている製品が廃棄物になったとき回収すること、それらから水銀を取り除くこと(取り除いた後はリサイクル可能になる)、回収した水銀は利用可能な用途以外には使用しないこと、そして回収した水銀で使用しないものは環境上適正な管理のもと、最終処分(永久保管も含めて)されるべきである。 ◎有害物質は「有用」である時代、「毒性が顕在化する」時代、「使用してはならない」時代、を経て「消滅」させるか「永久保管」される、という過程をたどりそうである。有害物質に対する基本的な考え方、「クリーン・サイクル・コントロール」は、「3R・低炭素社会検定公式テキスト」にも書かれている。「クリーン」とは、使用制限を行い、必要不可欠な用途に限定すること、「サイクル」とは、必要不可欠な用途に使った製品は回収して、再度利用すること(たとえば鉛蓄電池がこれに相当する)、「コントロール」とは、利用できなくなった有害物質は、環境への影響を極力少なくする過程を経て処理処分を行うことである。 ◎水銀は第三のコントロールの段階にある。国際条約が効をなすためには、一人ひとりの意識を変えること、そして水銀含有製品の回収や、環境排出量を減らすための活動がとても重要だと思っている。 <参考文献> 水銀の歴史については、山田敬一、水銀のはなし①、地質ニュース、1967年4月号、pp. 34-39、を始めとする水銀のはなしシリーズ①~⑩;http://www.geocities.jp/e_kamasai/shiryou/shiryou2.html#3 |
【プロフィール】 貴田 晶子(きだ あきこ) 【略歴】 1972年 広島大学理学部化学科卒 1972年~ 広島県保健環境センター 2003年~2012年 (独)国立環境研究所循環センター 2012年~愛媛大学農学部客員教授(現職) 専門:廃棄物化学(主に無機性有害物質の管理) |