「それぞれのフィールド、ローカルの取り組みが社会を動かす」 山本 耕平 株式会社 ダイナックス都市環境研究所 代表取締役会長 私は、年々記憶力が衰えていることを実感しているので、はじめに、このような膨大な知識を試される検定に合格されたみなさんに、心より敬意を表します。 私は長年にわたってコンサルタントとしてごみ問題や3Rに関わり、リサイクルという言葉がまだ社会になじみのない時代に、資源分別収集の取り組みを全国の自治体に広げるという活動をしてきました。先進的な自治体で研究会を開催し、夜は参加者の自治体職員や資源回収業者、容器や飲料メーカー、市民が車座になって、侃々諤々のごみ談義を朝までやって、翌朝は収集現場を見学するというような会です。 日本におけるリサイクルの黎明期では、自治体の先進的な施策や、市民の草の根的な活動、先見の明があった企業の取り組みが様々に展開されました。資源分別収集は沼津市から広がり、各地で資源回収業のスタートアップやNPOの先駆けといえるリサイクル運動が生まれました。牛乳パックのリサイクルは1985年に発足した全国牛乳パックの再利用を考える連絡会の活動から広がり、スチール缶やアルミ缶などの団体はリサイクルの技術やノウハウ開発に取り組みました。このようなローカルな取り組みが今日のリサイクル制度の基盤になっています。 グローバルな環境問題は国の政策が重要であることは当たり前ですが、その政策を動かす力は足下にあるのではないでしょうか。かつての公害対策では自治体が先導して国の政策は後追いでした。3Rも気候変動も、国や世界を動かす力は私たち自身の行動にあるはずです。そしてリーダーとなったみなさんには、みんなの力を集めて大きな流れにしていく役割があるのではないでしょうか。 風呂敷をひろげすぎましたが、例えば地域のリソースを動員して地域循環や概念だけが先行しているサーキュラーエコノミーを組み立ててみる、エネルギーの地産地消を広げていくなど、ローカルにやれること、やるべきことはたくさん見つかりそうです。 80年代、90年代は、法律もモデルもない中で、ごみをどう減らすか、リサイクルシステムをどうつくっていくか立場を超えて議論しました。その熱量はすごいものがありました。壁を乗り越えるためにはもっともっと熱く燃えることが大事です。ぜひみなさんの今後の活躍を期待しています。
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山本 耕平 |
【プロフィール】
山本 耕平
1955年姫路市生まれ、横浜市在住
大学(政治学科)のゼミで東京ごみ戦争の調査研究を行ったことがきっかけで、約半世紀もごみ・3Rと関わっている。
1984年 株式会社 ダイナックス都市環境研究所を設立
現在は代表取締役会長
NPO 雨水市民の会 理事長
一般社団法人 日本トイレ協会 会長