Vol.14~3・11は何を教示したのか~ 髙橋信行


「3・11は何を教示したのか」~ 髙橋信行◎◎


「3・11は何を教示したのか」

■3・11は生きている地球の為せる必然

地震津波など過去幾多の自然災害の事実に向き合い、地球の活動と折り合いをつけて「いかに生きるべきか」の教えを受けて来た筈の人間。3・12石巻日和山から灰煙に覆われる。3・11災害現場を臨んだ時、止めどなき進歩の崖っぷちに立つ思いと拠って立つ足場のない絶望とに同時に襲われた。

<豊かさ>や<便利さ>を追求し《進歩》のための技術革新を推進し続けてきた近現代の指導者は、過去の自然災害の教えに「行き過ぎた進歩の危険」を学ぶことなく地球の許与範囲を超えた開発を繰り返してきた。そして市民は、それに対し生活者としての自らの意思を「行き過ぎた進歩の危うさ」の意志として文字や言葉や生活態度で示しながらも、主体的に反対行動することなきもどかしさを感じながらも《進歩》を時代の潮流として甘受してきた。<与えられた豊かさや便利さ>がもたらした生活は、もろくはかないものではなかったのか。

3・11-「ここ30年以内に起きる」と予測されていた宮城県沖地震の勃発に伴う大津波のもたらした災害は、描かれていたシュミレーションをはるかに超え東日本沿岸域で開発し営まれてきたあらゆる産業と市民生活を根こそぎ藻屑と化し、2万人に及ぶ人命と、膨大な生物の生命をも奪った。それぞれの地形に拠る過去の災害地点を認知しつつも開発し築いた堤防や防波堤すらも地球の力量には歯も立たなかった。さらに被害を膨らませた水の質量を増幅させたのは、人間が利用していた流出構造物に他ならない。
また、直接的な被害は受けなかったものの電気ガス停止・交通遮断と生活環境が一変した数千万人の都市生活者も被災者に他ならない。

自然災害に追い打ちをかけたのは、まさしく近代科学の先端技術がもたらした-原発事故による核物質災害-である。唯一の被爆国と言いながら、「核兵器と原子力潜水艦動力に源流をもつ核」の<平和>利用の道に進んだのは日本の過ちではなかったのか。戦後を大手建設業で働いた戦争世代のお一人、菊池英樹さんは「<平和利用>の名のもとであれ日本人は核開発-原発には反対すべきであった」と深い反省の念をこめ病床の遺言として語っていた。福島第一原発事故は、近代科学が行き着く軍事利用と平和利用二元論に答えを出している。

3・11から始める道は、復旧復興を序章にした「歴史上に残る地球の災害の教えに従いながら地球上の生物が安全にくらす市民生活」創生の道であり、今後の地球人の生活モデル圏域創生の道でなければ、東日本大震災の教示はその意義を失い、未来の地球人に対する責任放棄となる。近現代の科学技術のもたらす《進歩》から得られる<豊かさと便利さ>を求める価値観を、<モノ貧しく・不便な>環境生活を創生する志向に踏み出す地点に立っているのではないだろうか。

■3・11から始めた創生の道
3・11の圧倒的被害は、被災地-石巻を拠点にした「人間が積み上げてきた全てを喪失した―環境生活」を決断させた。コトモノを失う事による足るを知る支えあう絆の生活を。
東日本大震災は、石巻日和大橋直前の渡波で被災し退路を断たれた気仙沼市民に、避難した石巻高校トレーニング室避難所のリーダーとして第1次(ホップ)被災者自立支援生活を求め、私はそれに従った。当避難所解散の日まで。

阪神淡路大震災での被災地支援活動の経験を踏まえ、「こどもを中心に据え、段ボールで囲わない明るく元気な・頑張らなくていい避難所コミュニティ」を目指した。災害がもたらす心的被害は真っ先にこどもに発現する。それはとりもなおさず親・家族の心的被害を生物的に感受し、そこからの解放を強く求める表現に他ならない。抑え込むのではなく、活動的に表現できる環境整備こそが避難所運営のカギである。こどもを支えることで親・家族をはじめ周囲の被災者をも救済する力をこどもは持っている。電気のない暗闇で不安な心を抱きしめることで安心させ、わずかな食料を分かち合うことで互いの命を支える。

避難所運営者には、被災者への生活指導は禁物である。起床就寝のルールがあれば十分である。運営はあくまでも運営者自らが避難所環境整備活動を自主的に果たし、それを見た被災者自らが自主自立の必要性を感じ避難所での役割を主体的に負う、役割を見える形にすることで自主参加を促進する在り方です。当たり前のことを当たり前に、が肝要です(外部支援も同様)。反対者には発言の機会を作り、いずれの場合でも積極的に意見を聞くことに注意を払う。

3・11から半年、仮設住宅へのステップ生活移行が遅れている。
個人の意思とは別に、避難所から仮設住宅、その先に初めてジャンプの自立生活が始まるのである。私達地球市民に出来ることは、わずかにそっと後押しすること。
甘受してきた近現代の成果から離れ、後戻りも辞さず。
いかに向き合うか、それぞれが考え抜くしかない。

平成23年9月15日
石巻市石巻高校トレーニング室避難所にて



髙橋信行

【プロフィール】
髙橋信行
宮城県地球温暖化防止活動推進ネットワーク
東日本大震災圏域創生NPOセンター
東日本大震災被災者サポートセンター


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