~災害廃棄物が語ること~ 浅利 美鈴 ( 京都大学環境科学センター助教) 3・11から3か月が経とうとしている。 現場は時々刻々と変化している。進んでいることが多いが、悪化していることもある。災害廃棄物に関係して言うと「津波堆積物」。津波により海底にたまっていた堆積物(砂やヘドロ状のもの)が巻き上げられ、様々なところを覆ったものだ。それが乾燥してきていて、災害廃棄物の撤去時や分別作業時にホコリになり、沿岸の強風にあおられて激しく飛ぶ。先日、岩手の災害廃棄物の一次集積所を回った際には、ゴーグルなしでは少しも目をあけていられない状況であった。また、肌をできるだけ覆い隠していたつもりであったが、帰宅してみると、身体中ザラザラ・・・地元の方の生活が思いやられる。 また、改めてリーダー(検定合格者)の方々と共有したいと思うことにも多々出会う。 ◆まず、4月初旬に陸前高田市を訪ねて思ったことは、地域リーダーの重要性だ。ご存じのとおり、陸前高田市は市役所の方々を含めて甚大な被害を受けた。しかし、そこで最も印象に残ったのは、復興に向けて力をあわせる様々な地元企業や市民団体の方々だった。支援物資の拠点や地元企業の仮設事務所を提供するドライビングスクールや、その事務所で復興作業を始めた醤油屋さん、この災害を乗り越えて更に森の育成と利用を進めようとする地元団体・・・絶望的な中にも、たくましいリーダーがいて、小さな規模でも、立ち上がり始めれば、地元は生き返るということを目の当たりにした想いであった。 ◆また、多くの避難所では、多くのボランティアや避難者自らが、きちんとごみ分別を行い、衛生状態が保たれていた。「津波ごみ」についても、分別が進められている。この状態を、写真を見せながら海外の人に説明すると、「日本人はこんなときでも、こんなに分別するのか!」と、かなり驚かれる。10年以上培ってきた3Rの習慣や技術が活きるときである。これが復旧・復興の一歩になり、証にもなる。 ◆多くの都市や自衛隊などから応援が入っているが、みな、街を歩いていると互いに挨拶し、「お疲れ様です」「ありがとうございます」などと声を掛け合う。何かのCMではないが、本当に一つのチームのように感じられた。なお、特に京都市からの支援は早く、現地での存在感も大きく、誇らしく思った。 ◆現地で一度だけ怖い思いをしたのは、4月7日の大きな余震である。実害もあった。これで、再び振り出しに戻った復旧作業も多くあったのだ。本当に人間の気力を試されているように感じた。一時は、落ち込んだ人も多かったが、間もなく立ち上がっていた。東北ならではの強さとも言えるかもしれない。 リーダー(検定合格者)や関係者の中にも、現地支援に行かれているという話を伺うことがあるが、やはり、一度は現地を自分の目で見て考えることは重要だと思う。もちろん、その際に現地支援(まだまだボランティア活動なども必要)ができればベターだが、現地支援も次のステップを考えねばならないときに来ている。なんと言っても復興は長丁場になるだろう。続けられる形での支援・・・例えば1年後、2年後、5年後、10年後に(も)できることを。 ※6月22日に現地視察を含む災害廃棄物関係のセミナーを開催する。詳しくは、近日中に、http://jsmcwm.or.jp/ にて紹介予定。 |
■プロフィール: 浅利 美鈴 3R・低炭素社会検定実行委員長 京都大学環境科学センター助教 |