窓辺のミニファーム (その5)

窓辺のミニファーム (その5)

みなさん、こんにちは。東京在住の山口茂子です。
窓辺で、グリーンを育てはじめて数ヶ月が経過しました。

はじめた季節が寒さに向かうときだったので、シーズンオフではありましたが、それなりに少しずつ育ってくれて、わずかながら食卓を飾ってくれました。
先日、この冬から育てていた最後の青菜を収穫しましたが、意外なことに室内で栽培していた青菜にアブラムシがたくさんついているのを見つけました。どこから来たのでしょうか? 不思議です。さらにコバエもたくさんやってきて、すっかり部屋が昆虫ランドです。幸いごきぶりは見かけていませんが。


昨年からの最後の収穫です。

一応、この部屋は私が暮らしている場所なので、虫の存在が生活に支障をきたすほど度を越して増えても困りますが、部屋に植物があるということは、そこに昆虫がいて、土があって、見えないけれど微生物がいて、という小さな自然の空間ができあがっていくということなのでしょうか。観察していると不思議なもので、アブラムシはどの葉でも見境なくつくのではなく、小松菜にはびっしりいても、大豆のつるには1匹もいないし、コバエは、発芽に失敗して腐敗しかけてしまったブロッコリーの種にはついても、健康なグリーンのプランターには集まってきません。そのうえ、ものすごい早さのサイクルで生まれて孵って大人になってというのを繰り返しています。

一つ、自分でも不思議に思うことがあります。室内栽培では収穫できる量なんてたかが知れています。プランターでは、サイズもあまり大きくなりません。つまりわざわざ、手間暇かけて狭い部屋でグリーンの栽培なんかしなくても困らないのです。それでも私は種をまきたくてたまらなくなり、小さなフタバを見ては喜び、しおれてしまってはしょんぼりするというのを繰り返しています。それはそれで楽しいですし、たとえば、しその葉などハーブ類であれば、ちょこちょこっとつまんでサラダや汁物に少量使うことができて少しは実用的な部分もあるかもしれません。でも、今私がやっていることは、どう考えても実用性に乏しいのです。室内栽培でも、もう少し日当たりの良い広い部屋があれば、実用性重視にもなるかもしれません。では、種をまいて育てたくなる理由って何でしょうか。

日本人は本来、身近で口に入れるものを育てて、暮らしていたわけです。今、地産地消、有機野菜、自然栽培作物が注目されはじめていますが、それでも一方では、工場で生産するように野菜を育てたり、はるか遠くから輸送をしたりということが、当然のように行われています。大型店の野菜コーナーでは、規格品のような野菜が並んでいます。
私は、普通のサラリーマン家庭育ちなので、実際に野菜が育つところもあまり詳しくみたこともありません。実を言えば、野菜どころか土にもロクに触れずに大人になりました。

「健康のため」からスタートして、やたらたくさん野菜にどっぷりつかった暮らしをするようになり、野菜が育つところを見たい、実感したい、自分の手で育てたものを食べたい、という気持ちと、いつかは自給自足、あるいは狭い地域での地産地消に立ち返らなければいけないのではないかという焦燥感のようなものに突き動かされている気がします。
大げさかもしれませんが、日本の今のやり方では、そのうち食べるものがなくなって飢える人が出るような怖さも感じます。

いずれ、年を重ねて、生活が変わったら、畑で野菜を育てたいなあという希望はもちろんですが、作物を大事に育てて、収穫して感謝していただくという基本的な姿勢を取り戻したい、東京などの都市に暮らしていても、本来の日本人の暮らし方を見失わずにいたいというのが、今の気持ちに近いところかもしれないと思っています。


今年のミニきゅうりが育っています。
今年のミニきゅうりが育っています。
大豆とミニトマトを植えてみました。

大豆とミニトマトを植えてみました。
大豆とミニトマトを植えてみました。
不織布バッグに土を入れています。


山口茂子


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