「ごみは世に連れる」 村岡 良介
ニュースレター編集長の村岡良介です。 自身のことを少し紹介させていただきます。私こと、大学で「都市問題」と「地方自治」を専攻し、それが縁で1980年に現在勤務する環境保全活動団体に就職して以来、廃棄物問題を中心に、調査研究、雑誌編集・広報出版、人材育成等の業務に携わってきました。この42年間に取り組んだ廃棄物問題のテーマを振り返ってみます。 最初に取り組んだのは、「広域最終処分場(フェニックス)計画」でした。ひっ迫するごみの内陸処分対策に港湾施設整備を合わせたプロジェクトでした。東京湾、大阪湾、伊勢湾、響灘で大規模な海面埋立処分場を構想しましたが、実現したのは大阪湾だけでした。大阪湾フェニックスセンターが果たしてきた役割は、読者の皆様もご存じのとおりです。 次に取り組んだのが、乾電池対策、ごみ焼却炉の排ガス中に含まれる高濃度の水銀対策でした。そして環境ホルモンとダイオキシン対策です。医療廃棄物処理の問題もありました。ごみ焼却施設は、煙害や酸性ガスに始まり、このような問題がクロースアップされる度に、周辺環境に悪影響を及ぼす迷惑・忌避・嫌悪施設であるイメージが強くなりました。しかし、これらの問題がごみ焼却技術の開発・改良を促進し、施設の大型化と設備や装置の高性能化をもたらしました。今やごみ焼却施設は、生活環境の保全と公衆衛生の向上に必要不可欠で、熱・電力供給も行う社会インフラとしての機能とともにそのイメージも変わりつつあります。 2000年には、「大量生産・大量消費・大量廃棄による社会経済構造からの脱却」を目指し、循環型社会形成推進基本法が制定され、その広報普及と3R活動に携わりました。3R検定の発足に繋がります。 2011年に発生した東日本大震災は、未曽有の被害とともに膨大な量の災害廃棄物を発生しました。原子力発電所の事故により放射性汚染物質が拡散し、除染と汚染物質の適正処理が喫緊の課題でした。その後に続いた震災や異常気象による自然災害の激甚化に伴い、災害廃棄物処理対策のための制度が整備されました。 最近は、小型家電リサイクル制度を活用して東京オリンピック・パラリンピック競技大会の表彰メダルを作製する「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト」に携わり、「プラスチック・スマート」、「新型コロナウイルス感染症対策」、「脱炭素社会と循環経済と分散型社会への移行(3つの移行)」へと続いています。 このように、廃棄物の処理を巡る、その時々の最先端の仕事に関わってこられたことを、大変幸運に思いながら回想する次第です。モチベーションを支えたのは、「ごみ学」に対する好奇心であり、環境保全に対する問題意識や使命感でした。そして、最近特に思うことは、人間社会の営みによって生じる事件や事故や災害の後始末はごみ問題であるということ。ごみ問題に取り組むことは、全世界が目指す17の持続可能な開発目標(SDGs)の多くの達成に寄与し、大きく貢献できるということです。
| 村岡 良介 |
村岡 良介
・1956年神奈川県川崎市出生、現在横浜市在住
・一般財団法人日本環境衛生センター勤務(環境事業本部・特別参事)
・環境カウンセラー、自然観察指導員として、講演・執筆活動に注力し、
地域の環境保全活動に従事し、自然観察会を主宰
・2009年第1回3R検定より運営委員として参画し、関東地域のパートナーを担当、
2019年よりニュースレター編集長
・趣味はテニスとジャズ鑑賞