「ヒトとモノの関係 ~モノとどうつきあっていくか~」
山口 茂子
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みなさま、こんにちは。
私は、一般廃棄物処理施設において、地域性を生かした環境やごみを学ぶ場づくりや、エコなイベントなどの開催をつうじて、地域の子供たちや住民のみなさまに親しまれるごみ処理施設づくりを行う仕事をしています。
ごみ処理施設は、安全にごみを処理するほか、小学生を中心に、ごみ処理を見学することで、ごみ減量や3Rなどを学ぶ場にもなっています。
さらに、ごみ処理のしくみを見学するだけでなく、エコをテーマにしたイベントを開催したり、ワークショップなどを実施したりする施設もあり、イベントに参加いただいた皆さまには、「モノを大切に最後まで使おうと思った」、「すぐに捨てないで、再利用できるか考えようと思った」といった感想をいただくこともあります。
ごみ減量や3Rについて考えると、「ヒトとモノとの関係」といったテーマにたどりつきます。
書店を歩くと、少し前まで「断捨離」と書かれた本が積まれ、最近では、「モノを持たない暮らし」だとか「**流収納術」だとか「服を**着しか持たない」だとか、モノの所有にまつわる本がたくさん見つかります。
多くの人がモノの所有にまつわる悩みを多かれ少なかれ抱えているのだなと感じます。
最近よく話題となる高齢者が持ち物を整理できずため込んでしまう結果発生する「ごみ屋敷」問題、遺品の整理などもモノの所有にかかわる問題です。
「この人は、もったいないと言って、若いときからの服も大切に着ているんだよ。でも、モノを捨てられないから、家はごみだらけ。」と笑いあっている場に居合わせたことがあります。
捨てられない、溜め込む、廃棄物の問題に「人の心理」をどう読み解くかという話も出てきました。
一人が所有するモノの適量というのはあるのでしょうか。
先日、徹底的に自宅を掃除しました。
片づけをしながら、モノをたくさん捨てました。
使えるもので必要としなくなっていたモノは、料金を支払って、NPOに寄付しました。
人からモノをもらって、うれしいという時代でもなくなったことを実感します。
いる、いらない、の判断基準はどこにあるのでしょうか。
大雑把に分けると、「すごく好き、愛着がある、役に立つかどうか以前に好き」、「まあ便利だし愛着を感じる、または日用品として必要」、「そうでもない、関心がない、とくに愛着を感じない」。こんな分類ができます。
これだけならば、明快でいいのですが、モノの整理がはかどらない要因として、「かつて愛着を感じていたが、今はそうでもないが、捨てるほど割り切れない」とか、「あとで見たくなるかもしれない」などが加わると、なかなか整理がはかどりません。さらに「まだ使える」という最強の一言が加わります。
「まだ使える」。
おそらくモノがない時代を過ごした方は、この一言が、相当の決め文句になるのではないでしょうか。
モノの適量は、おそらく一人ひとり異なってくるのだと思いますが、「持っていることを認識して、愛着を持って使い続けることができる量」、自分なりに基準を作ってみました。
平成30年6月、第四次循環型社会形成推進基本計画が閣議決定されました。
このなかでは、ライフサイクル全体での徹底的な資源循環を取り組みに掲げています。
「もったいない」が脅迫観念になり、活躍することもなく、押し入れの奥深くに「いつか、何かに」で眠っているのであれば、資源が徹底的に循環するしくみが整い、そのことが周知されていくことで、地球の資源として、循環の環のなかに戻してあげることも必要なのかもしれないと感じます。
しかしながら、理屈だけで割り切れないモノとヒトの関わりがあります。
若い世代は、あまりモノに固執しなくなったという声を聴くこともあります。
多様化する価値観のなかで、モノとの関係が、これからどう変化していくのだろうか、とよく思います。
100パーセント満たされたなかよりも、少しだけ足りないということを、一人ひとりが創造性で補うことができるバランスが心地よいと、私は感じます。
新しいアイデア、レシピ、作品が生まれるのは、モノが足りないとき、物的に満ち足りていないときのように感じます。
ヒトの数だけありそうな「モノとの付き合い方」、機会があれば、合格者のみなさんとお話しするのも楽しいかなと思います。
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